創世記3章
3:1 さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
最も賢い蛇は、女を惑わしました。彼の質問は、悪意のあるものです。神の戒めは、人を苦しめるためのものだということを言ったのです。そのために、神の言葉を曲げて引用しました。神の戒めに疑いを抱かせるためです。
3:2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
3:3 しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
女は、蛇の言葉に反論しました。彼女は、その中でいくつかの誤りを犯しています。
一つは、「食べる時必ず死ぬ」と言われたことに対して、「死ぬといけないからだ」と言われたと答えたことです。彼女は、悪魔が神について人を苦しめる者のように言ったことに対して、神を弁護したのです。その時、「必ず死ぬ」という厳しい言葉を避け、「死ぬといけないからだ」と人のことを考えてくださる優しい方として言い表しています。人を苦しめるための厳しい戒めではないと反論したのです。
しかし、この戒めは、神の主権による厳然たる定めであるのです。彼女は、自ら神の戒めを柔らかいものにしました。棘を抜いたのです。
このように、神の言葉に疑問や疑いを抱く人々に対して、神を弁護する心が働く時、神の主権や揺るぐことがない定めなどをそのまま告げるのでなく、相手に受け入れられやすいような言葉を使うことがあるのです。結果的には、女のように、間違ったことを語るのです。
また、「それに触れてもいけない」と言い、神が言っていないことを付け加えました。彼女自身が神の言葉を厳格に守る者ではないということを明らかにしてしまったのです。テモテへの手紙では、このような、神の言葉を厳格に守ることなく、誘惑によって揺るぎやすい女の性質を取り上げています。それで、女は、教えをして男を支配することが禁じられています。
3:4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
3:5 それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
蛇は、女が神の言葉に対して緩いことを見ました。それで、「決して死にません」と言ったのです。彼女が神の言葉の権威を明確に覚えているならば、誰がなんと言おうとも退けるのです。しかし、蛇から、強い言葉で言われた時、ゆらぎました。
蛇は、続けて、人が神のようになることを知っているので、食べさせたくないだけであると、神を疑わせます。
女は、御言葉を厳格に捉えていないのですから、簡単に疑いを抱くのです。また、従わない結果について深く考えないのです。私たちが簡単に誘惑に陥るのは、神の言葉の権威を認めていないし、その結果について深く考えていないからです。
3:6 そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
この木は、三つの点で彼女を誘惑するものでした。一つは、「食べるのに良さそう」で、肉の欲を満たすことが期待されました。
二つ目は、「目に慕わしく」とあり、目の欲を満たすものでした。美しいものに惹かれるような、肉の欲よりも高度な欲です。
三つ目は、「賢くしてくれそう」なのです。それは、自分の誇りにつながっています。
イエス様の受けた荒野での試みは、この三方面からのものです。パンは、肉の欲に訴えること、また、全世界の栄華を見せることは、目に訴えるのです。神殿から飛び降りることは、神の子という誉れのためです。ヨハネも、この三方面からの誘惑があることを指摘しています。
ヨハネ第一
2:16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。
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女は、その実を取って食べました。彼女は、誘惑に陥り、神の言葉に背いて欲を満たしたのです。
夫は、妻が与えたので食べました。夫は、惑わされませんでしたが、妻が食べたので神の言葉に背くことを承知で食べたのです。男は、女のためには命をかけることが分かります。
テモテ第一
2:14 そして、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて過ちを犯したのです。
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3:7 こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。
彼らの目が開かれたことで、自分たちが裸であることを知りました。善悪を知ったのです。彼らは、腰の覆いを作りました。
3:8 そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。
それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
3:9 神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」
この風は、霊を表しています。神はこの時、霊のうちに来られたのです。歩き回っておられる音がしました。日は、光としての御言葉をもたらすことを表しています。人のもとに来て、交わりをなしますが、言葉を持って来られたことを表しています。霊は、教えをなすものを表しています。
歩き回ったことは、神ご自身が歩まれたことを表しています。それは、模範です。ご自分が歩まれた経験をとおして教えられる方です。キリストの模範は、そのためにあります。
・「そよ風」→日の風。あるいは、日の霊。
3:10 彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」
男は、神が近づくのを知って隠れたのです。裸であったからです。裸であっても神の目にはなんの支障もありませんが、裸は、肉を現したことを表しているからです。それによって神の言葉に背いたのです。
3:11 主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」
主の言葉は、はじめは、「だれがあなたに告げたのか。」と、他の人から教えてもらったのかと問いました。人が神の言葉に背いたと初めから決めつけることはありませんでした。そして、食べてはならない木から食べたのかと問いました。
3:12 人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの「女」が、(彼女が)あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
この男の言い表しの強調点は、「女」です。文法的には、「あなたが与えた」ことは、意味として含まれていますが、代名詞等は記されていません。女が悪いと言っているのです。それで食べたと。神を責めるような言葉ではありません。
3:13 神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」
女は、問い詰められると、蛇が惑わしたので食べたと言いました。蛇が悪いと言っているのです。
彼らは、自分が罪を犯したことについて、その責任を他に転じています。
3:14 神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。
蛇は、どんな野の生き物よりも呪われました。その結果、腹ばいで歩き回ります。彼は、地に属する誘惑で人を惑わしたからです。彼は、地に属するものとして、地から離れることができず、常に腹ばいなのです。そして、地に属するものにふさわしく、地の塵を食べるのです。実際は、蛙などを食べていますが、これは、塵が価値の無いものを表していて、彼の誘惑は、魅力的に見えたけれども、地に属する価値の無いものであるということです。それで、彼の食べ物も、なんの価値もない塵を食べるようにされたのです。
3:15 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
敵意は、まず、蛇と女の間です。蛇は、神に背かせようとし、女は、神に従おうとして、敵対関係になるのです。ここでは、女が取り上げられていて、男ではありません。男は、キリストの比喩、女は、教会の比喩です。これは、信者と悪魔との戦いなのです。悪魔は、肉に従わせようとし、信者は、肉を殺して神の従おうとする戦いなのです。お前の子孫と女の子孫も、その関係を表しています。
頭を打つことは、サタンの働きを無力にすることを表しています。義とされ、御霊によって歩む者は、勝利者なのです。蛇は、かかとを打つように、その歩みを妨げようとするのです。
なお、これは、十字架上での業を指しているのではありません。十字架は、すべて神の計画通りに進行したのであり、サタンは、その業に少しも傷をつけることはできませんでした。かかとを打ったというのは、誤りです。傷を受けたとしても、それは、サタンによるのではなく、神の計画通りです。
「子孫」という語は、単数であって、子孫を意味します。複数形で使われません。ですから、この語が単数であるからと言って、一人の人を指しているとは言えません。以下の聖句のような明確な解説がある場合は別です。
ガラテヤ
3:16 約束は、アブラハムとその子孫に告げられました。神は、「子孫たちに」と言って多数を指すことなく、一人を指して「あなたの子孫に」と言っておられます。それはキリストのことです。
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3:16 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」
女は、裁きとして、産みの苦しみを増すことになります。また、夫を恋い慕ったとしても、支配を受けることになります。女が誘惑された時、女の声に聞き従わせ、男に罪を犯させたのです。それで、女を支配される立場に置きました。女が支配することは、禁じられたのです。
3:17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
男に対しては、妻の声に聞き従ったことが問題とされました。彼の行為のために、大地が呪われてしまいました。裁きとして、苦しんでそこから食を得ることになります。彼がいのちを得るためには、苦しんで食を得なければなりません。いのちを経験するためには、肉との戦いがあるのです。肉において苦しみを受けるのです。
ペテロ第一
3:18 キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。
4:1 キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。
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キリストが肉において苦しみを受けられたのは、肉の欲を持たれたからです。空腹を覚えるのもそうです。悪魔は、そこを突いて誘惑しようとしました。ですから、肉を殺すための苦しみが常にあるのです。肉を殺す苦しみを受けた人は、肉との関わりを断っています。なお、これは、肉体の苦しみのことではありません。
3:18 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
大地は、食物にならない呪われた茨とあざみを生じさせます。そして、彼の食べ物は、獣の食べ物として与えられた草です。ここでは、食物として与えられた種を結ぶものについては、触れられていません。結ぶ実を表す種によって満たされることが失われることを表しています。これは、呪いの状態です。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
顔に汗かくことは、肉による努力を表しています。そのようにして命をつなぐ糧を得ることになります。霊的にも、人は、神の御心を行い実を結ぶことによって満たされ命を得るのではなく、肉の努力によって満たしを追求するのです。それが呪われた状態です。
祭司は、汗をかく物を着てはなりませんでした。汗は、人の内側から出てくるものであるからです。そのようなものは、神に受け入れられません。
また、彼は、塵に帰ります。塵は、価値の無いものを表しています。肉の努力によって生きたとしても、その帰するところは、空しいことを示しています。これが呪われた状態です。
3:20 人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
妻の名は、エバです。彼女がすべて生きる者の母であるからです。彼女から全ての人が生まれ出ます。それとともに、生きるもの全ては、神の前に生きるものの比喩で、キリストから生み出され、キリストの妻とされた者のことです。
3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。
主は、アダムとその妻のために皮の衣を着せられました。彼らが肉を現すことがないように、彼らを覆う物として作られたのです。これは、信者がキリストを着てキリストを現す者として歩むことの比喩です。もはや、肉によって歩むのではないのです。そのためには、獣が屠られましたが、これは、キリストの十字架の比喩です。その血によって義とされ、キリストを着て歩む者とされたのです。
3:22 神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」
神については、複数で記され、「われわれ」と言っておられます。神は、善悪を知る方であることが分かります。人も、そのように善悪を知るようになりました。
そして、いのちの木の実を食べると、肉体が死ぬことなく永遠に生きるようになることが分かります。新天新地では、人がいのちの木の実を食べることができます。彼らは、都に入り、いのちの木の実を食べることができます。彼らは、肉体を持つ者たちですが、いのちの木の実を食べることで永遠に生きます。
黙示録
22:14 自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。
22:15 犬ども、魔術を行う者、淫らなことを行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は、外にとどめられる。
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いのちの木の実を食べる特権に与る者と、そうでない者があり、その行いに応じて区別されます。
3:23 神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。
人は、エデンの園から追い出されるという残念な取り扱いを受けます。そして、地を耕す者とされました。戒めに背いた結果、彼は、祝福を逃したのです。
彼は、神の備えた祝福を味わうのでなく、一生苦しんで食を得ることになります。
3:24 こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。
人は、追放されました。いのちの木の実を食べさせないためです。その木は、御使いと炎の剣で守られました。炎は、評価を表し、剣は、鋭い判別能力を持つ御言葉の比喩です。いのちに与るには、神の評価によりますが、その評価の根拠は、あらゆる物を判別する能力を持つ御言葉によります。